リカルド・アルレドンド

リカルド・アルレドンド(Ricardo Arredondo、1949年5月26日 – 1991年9月20日)は、メキシコの元プロボクサー。ミチョアカン州アパチンガン出身。元WBC世界ジュニアライト級王者。チバ・アルレドンド(元日本フェザー級王者)、レネ・アルレドンド(元WBC世界ジュニアウェルター級王者)は実弟。

70年代に幾度となく来日し、日本人相手に稼ぎまくったWBC世界ジュニア・ライト級チャンピオンです。浜田剛史(帝拳)と戦ったWBC世界ジュニア・ウェルター級王者のレネ・アルレドンド、日本フェザー級王者となったチバ・アルレドンド(仙台)の実兄ですね。父親もアマチュア・ボクサーだったようで、文字どおりのボクシング一家に育ちました。

71年3月の初来日では小林弘(中村)のWBA王座に挑戦して敗れましたが、同年10月に再度来日し、今度は沼田義明(極東)に10回KO勝ちしてWBC王座を奪いました。

長身でリーチに恵まれたボクサータイプです。よく伸びる左ジャブ、ワンツー、左右アッパーなどの多彩なパンチを武器としていました。しかし、特にスピードがあるわけでもないし、パンチが切れるというわけでもありません。KO率が非常に高いですが、ハードパンチャーというわけではなく、伸びのいいパンチを執拗に打ち続けて連打で倒したり、ストップに持ち込むタイプです。

同時期のWBA王者だったベン・ビラフロア(比国)に比べればおいしいチャンピオンに見えたのでしょう。そのため、比較的キャリアの浅い日本のトップが次々に挑戦しました。しかし、岡部進(石川)が12回KO負け、アポロ嘉男(親和)が判定負け、柏葉守人(野口)が6回TKO負けと、ことごとく退けられました。アルレドンドは5度の防衛を果たしていますが、そのうち3度は日本人相手です。

強そうには見えないのですが、実際には見た目以上にパンチが伸びて、懐が深く、非常にやりにくかったのだろうと思います。アルレドンドにしてみれば、手ごろな相手がドンドン挑戦してくれる日本は、楽に大金を稼げるおいしい市場くらいの感覚だったかも知れません。

余談ですが、このうち柏葉戦は日本で初の世界ヘビー級タイトルマッチ、ジョージ・フォアマン(米国)vs.ジョー・キング・ローマン(プエルトリコ)の前座として行われました。ヘビー級の方は試合が決まった時点から話題沸騰でしたが、実力も体格も段違いで、ライオンの檻にウサギを投げ込んだような無残な試合になり、フォアマンの初回KO勝ちに終わっています。そのアルレドンドも、後の世界王者・上原康恒(協栄)とのノンタイトル戦では不覚を取りました。上原はその余勢を駆って、ホノルルでビラフロアのWBA王座に挑みますが、これは歯が立たず、2回KOで一蹴されました。

やりたい放題だったアルレドンドに引導を渡したのは実力者・柴田国明(ヨネクラ)です。74年2月、6度目の防衛戦に柴田を迎えましたが、大差の判定で破れ、ついに陥落します。柴田のスピーディなパンチを浴び続け、端正なマスクが傷だらけになったのが印象的でした。

アルレドンドはプレイボーイとしても有名で、愛人同伴で来日したこともあります。岡部戦では試合前にベッドインしている写真を撮らせ、それが週刊誌をにぎわせたこともあります。マネジャーのエルネスト・ガヤルド氏もそちらの方は盛んだったようで、師弟揃って完全に日本を舐めていた感じがします。引退後は弟のレネが浜田の挑戦を受けたときにセコンドとして姿を見せました。しかし、残念ながら91年に42歳の若さで亡くなっています。

日本でベルトを手に入れ、日本人相手に稼ぎまくり、日本にベルトを返して去った男。2人の弟たちも含め、いろいろな意味で日本とは切っても切れない縁があるボクサーです。日本でやりたい放題をやりながら、間が抜けていて、どこか憎めない愛嬌が漂っていました。

99戦76勝(57KO)22敗1分

たこです

たこです

迷惑かけてありがとう

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