レジェンド・クラシック

村田 英次郎

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日本も世界に誇るボクサーを何人か輩出しています。ファイティング原田、海老原博之、ガッツ石松、柴田国明、西城正三。しかし、彼らのような1級品の王者たちと比肩する実力を持った選手が世界を制覇することなく去っていきました。1人は「名刀村正」の異名を誇った関光徳。もう1人は「カミソリ英次郎」こと村田英次郎です。私がボクサーの中でその生き様、人生を最も尊敬する選手、その選手こそが村田英次郎でした。彼の青春、ボクサー人生はただ一つのことに注がれました。
それは、彼の小学校の卒業文集に書かれていました。「顔がめちゃめちゃにつぶれてもいい。身体が動かなくなってもいい。ボクシングの世界王者になりたい。」彼は、この夢を実現すべく中学を卒業するとすぐに金子ジムに入門し、寮生となりボクシングにすべてを注ぎ込みました。

その卓越した才能は、はやくも頭角をあらわし、弱冠16歳でアマの日本王座を獲得(この記録は今でも破られていない)天才少年現るとボクシング界を騒がせました。18歳の時に五輪予選の
最終戦で石垣仁に僅差の判定負けを喫するとすぐにプロに転向。デビュー戦で後の日本フライ級王者藤勝をわずか56秒でKO。さらに3戦目で当時の日本バンタム級王者沼田剛を7RTKO。その後もハリケーン・テルや安藤文治、新鬼丈などの後の日本王者を退け、デビュー12戦目で当時世界バンタム級2位だった東洋王者、金栄植を大差で破り東洋王座奪取。防衛戦で韓国、フィリピンの国内王者たちを倒し、夢の世界王座への道へと突き進んでいきました。

村田がどういうタイプのボクサーかといえば東洋史上に残る技巧派。デビュー当時からエディ・タウンゼントに育てられ、天賦の才能にあぐらをかくことなく磨きをかけた。相手のパンチをミリ単位でかわしてパンチを打ち込む、いわゆるクロスカウンターが主武器だ。相手が攻め込むと、すれ違いざまこのクロスが命中しもんどりうって倒れる。居合抜きのような切れ味鋭い右クロスだった。フットワークも早く、防御技術も卓越したものを備え、スピードのあるパンチは強い上にしかもそれをカウンターで打てる。世界の1級品王者とまともに打ち合っても耐えることのできるタフネスも備え、まさに万能タイプのテクニシャンだった。

しかし、当時の世界バンタム級は怪物王者たちが君臨していました。防衛戦のすべてをKOで退け、しかも、戦績自体が無敗の上、KO率は100%に近い。そう、KOアーティストのカルロス・サラテとアルフォンソ・サモラ。関係者達は「村田は運が悪い時期に生まれた。彼らには歯が立たないし、挑戦することすら難しいだろう。」というのが一般的でした。その後サモラが陥落し、さらにあのサラテが敗れてしまった。サラテを破ったその選手こそ「殺人パンチャー」ルペ・ピントールでした。

村田の最初の世界戦、相手はこのピントール。KO率はゆうに80%をこえ、しかもKOのほとんどが前半の早いラウンド。後の防衛戦で対戦者を死に至らしめたほどの強打の持ち主で、パンチのみならずテクニックも1級品の折り紙がつくほどの超一流のボクサーでした。時期尚早や村田では荷が重過ぎるという関係者の心配の声をよそに試合は決定した。

黒い肌、筋肉の固まりのような素晴らしい体と落ち着いた雰囲気をかもし出すピントール。対照的に筋肉質ながらぬけるように青白い肌、甘いマスクながらも弱々しさを感じさせる村田。
この時点で勝負ありと思った人も多かったと思うが(私もその一人)それはすべて先入観だったことが1Rで判明した。村田の強烈な右クロスに膝をおりながら必死で耐えるピントール。スピードに乗ったストレートのような左ジャブからのワンツー、右クロスが炸裂する。並みの王者なら3Rで終わっているほどの村田の鋭い攻撃。何度も膝をおりながら必死で耐え、打ち返すピントール。互角の打ち合いは予想を裏切る名勝負となり終盤へともつれ込む。14R、ボディ打ちからチャンスをつかんだピントールがKOを狙い猛然と襲い掛かる。ダース単位の強打が乱れ飛び、村田はKO負け寸前に。しかし、倒れない村田が今度は猛然と反撃。戦慄の打撃戦はついに判定勝負に。結果はドロー。ピントールのパンチ力は半端な強さではなかった。こんな王者と真っ向から打ち合える選手がいるなんて!しかも、こんな青白い弱々しそうな男が?ものすごい実力とガッツを備えた選手が現われた!中学生ながら本当にびっくりしました。実力者ピントールに分のいい引き分けに終わった村田の前途は、無限の可能性が開けているようにすら見えました。ファイティング原田以来のバンタム級王者、しかもガッツ石松以来の世界に誇れる選手の出現。しかし、彼の前途は1人の、引退後わずか15年でボクシング界の殿堂入りを果たした強豪黒人ボクサーにすべてを閉ざされた。その名はジェフ・チャンドラー。

村田の強さに警戒感を強めたのか、あるいは忍び寄る減量苦で村田と戦えば苦戦は免れないと思ったのか、ピントールは村田との再戦に応じない。村田がWBC、WBA両団体で1位となり指名挑戦者として避けられなくなると、少しでも自分に有利なホームタウンのロスでの開催に固執。村田も気持ちをかためてロス行きを覚悟していたところに、なんとWBAの王座が移動。新王者は米国36年ぶりのバンタム級王者となった、ジェフ・チャンドラー。チャンドラー陣営は初防衛に成功したら日本で村田の挑戦を受けることを表明。かくして、村田の2度目の挑戦は後の宿敵となるチャンドラーとなった。この試合に備えて、徹底的な走り込みを敢行した村田だが、不運にも膝の半月版を損傷。満足な走りこみも出来ず、故障とスタミナに不安を抱えたまま試合に臨んだ。

1R、ピントール戦同様に強烈なパンチを浴びせる村田。たじろぐチャンドラー。ここで村田生涯最高のクロスカウンターがチャンドラーを捕らえた。宙に浮いた感じで吹っ飛んだチャンドラーにとって幸運だったのはロープが彼を支えてくれ、ダウンはまぬがれた。この一打で警戒したチャンドラーは徹底的に打ち合いを避け、クリンチや反則すれすれのホールドで村田を攪乱、ポイントを上げる作戦に切り替えた。村田らしくない試合ながらも、要所で強打を決め、何度も相手をぐらつかせながら、またも無情の引き分け。村田の勝ちと言ってもいい内容だっただけにいっそうチャンドラーに屈辱を与えた。個人的にはこの試合こそ村田が世界をとるべきチャンスだったと今でも思っている。

依然世界ランクの1位にとどまっていた村田は、減量苦で挑戦をなかなか受けてくれないピントール、村田の恐さを実感して帰国したチャンドラー、どちらかでもすぐに挑戦を受けてくれる王者と再戦する方針を固めていた。たとえ、それが敵地になろうとも。紆余曲折の上、決まった相手はチャンドラー。場所は敵地アトランティック・シティー。再戦を強烈に嫌がっていたチャンドラーは、村田のビデオを100回見て村田の弱点を研究していた。対照的に村田は離日直前に腰を痛め、歩くのすらままならないほどのガタガタのコンディションで敵地に乗り込んだ。

試合が始まると、前回とはまるで別人のような強さと、うまさを誇るチャンドラーが立っていた。日本人ボクサーのほとんどが苦手とするショートアッパーを交えた多彩な連打にさらされた村田。その時のチャンドラーの出来は、まさにボクサー人生で最高の出来。悪コンディションでこのようなスーパーボクサーに13Rまで持ったのが不思議なほど。トドメとなった右アッパーは角度、スピードタイミング、破壊力すべてにおいて教科書のようなアッパーだった。それでも、朦朧とした意識の中でチャンドラーに反撃のパンチを繰り出す村田も、ものすごい本能を持ったボクサーと感じましたが。試合後、敵地で1週間も入院するほどのダメージだったことが後に判明した。

惨敗して日本に戻ってきた村田が再挑戦するにはハードな試合を組むしかなかった。再起戦で世界3位の磯上修一と戦ったことなど、あれほどのダメージを受けて負けたボクサーが行う相手ではなかった。強豪ハリケーン・テルを下し、世界ランキングを3位まで上げていた磯上にとってKO負けした直後の村田は組し易く、再び世界へのチャンスを得るためには絶好の相手だった。村田はもしこの試合に負けたら再び世界どころか、引退まで覚悟しなければならないという厳しい試合だった。互角の予想をされたこの試合、結末はあっけなかった。

やや村田ペースで迎えた3R、強引に突進する磯上を誘いこんで、なんと右のロングフックをカウンターで命中させると、磯上はばったりと倒れた。後にも先にもロングフックのカウンターなんて日本人で打った選手など見たことはなかった。続く4R、村田のショートの右クロスが命中すると磯上は膝をつくダウン。ダウンを挽回しようと猛烈にラッシュする磯上をうまく誘い込み、上体のわずかなシフトウェイトで、至近距離から打ち抜いた右のクロスがヒットすると、磯上は体をねじるようにして硬直したようにマットにバウンドした。このパンチは私が今まで見た日本人選手の中でトップ3にはいるほど芸術的かつ破壊力のあるパンチでした。辛くも立った磯上を再びマットに沈めるのに5秒とかからなかった。村田の圧勝。村田の試合のなかで最も芸術的なKOだった。それでも、バンタム級での挑戦がまわってくるチャンスがいつ訪れるか保証はなかった。村田は1階級上のJr.フェザーでも、1階下のJr.バンタムでも挑戦ができるなら誰でもと挑戦を表明するが、ピントール、チャンドラーと引き分けた強者の挑戦を受けるバカなどいるわけがない。

当時のJr.バンタム級の王者金はひたすら黙殺。もう1人の渡辺二郎も挑戦を受け入れるほどの余裕はない。Jr.フェザー級のKOキング、ウィルフレッド・ゴメスは減量苦で防衛戦どころか
フェザー級への転向への準備に忙しく、もう1人の王者レオ・クルスも万能タイプの強者、村田の挑戦など受けてくれるはずもなかった。他階級での挑戦が王者に逃げ回られている事を知った
村田はバンタム級での再挑戦が再び訪れるのを待ち、東洋の強豪を倒しながら世界ランクが上がるのを待った。

再びWBAのランクで1位になりチャンドラーへの指名挑戦権が手に入ったころに皮肉な運命が待っていた。ピントールがバイク事故で大怪我をしてWBCが王座剥奪。1位から4位までの選手で王座決定戦を行うことが発表された。WBCで村田は4位。決定戦の相手もチャンドラーに比べるとはるかに実力の落ちる選手達。村田の決断はこうだった。「チャンドラーに借りを返す」

この頃のチャンドラーはとにかく強すぎて相手がいなく、アメリカどころか中南米のボクサーさえしり込みするほどの強さだった。防衛戦も受けてくれるならランク上位とでも戦うといった状態だった。ある記者が何故それほどまでにバンタムに固執するのか村田に尋ねたところ、「バンタムが駄目なら東洋もJr.バンタム、Jr.フェザーもいらない」と強い意志をもった答えが返ってきたという。しかし、なぜ決定戦に出ずにチャンドラー挑戦?これも万全の状態でチャンドラーに借りを返したい。という思いが王座を取ること以上に強かったかもしれない。

こうして、チャンドラーとの3度目のラバーマッチに挑んだ村田だったが、またしてもそこに立ちはだかったのは7度の防衛をこなし、パワー・アップしたものすごい強打者に変貌したチャンドラーだった。2R、自分のお株を奪うような強烈な右クロスをテンプルに命中させられた村田はダウン。この1発のダメージは大きく、続く3R、またしてもタイミングのいい右クロスでダウン。この時点で早い回のKOが予想されたが、続く4R村田の右クロスが命中しチャンドラーが膝をゆらす。予想を裏切る打撃戦は10Rまで続いたが前半のダメージのぬけきれない村田はこのラウンドにつかまった。チャンドラーの強烈な右フック3連発。スローで見ても追いかけられないほどのスピードとパワーののったこのパンチ、それでも2発はよけたが3発目が命中してダウン。誰もが立てないと思ったが村田は立って反撃する。強烈な左フックから右ストレートでまたもダウン。それでも立ち上がり再び反撃を試みる。しかし、最後はボクシング映画のワンシーンに出てくるような美しくかつ強烈な右ショートアッパーをくらい、一瞬の間をおいて最後のダウン。それでも立ち上がりかけた村田にレフリーは3度目のダウンだったことを告げるかのように彼を静かに抱き起こした。

この試合にボクサー人生のすべてをかけていた村田が再びリングに戻ることはなかった。東洋王座連続12度防衛は、くしくももう1人の日本の誇った無冠の帝王、関光徳にならぶ日本記録だったことが因縁を感じさせた。ピントールにKO負け寸前になった時も、チャンドラーに強烈なダウンを喰らっても何度でも立ち上がり、最後まで10カウントはきかない不屈のボクサーだった。

村田が引退して後を追うようにピントールは一階級上のJr.フェザー級に。あの無敵の強さを誇ったチャンドラーも左肩の故障と眼疾のため引退。村田が引退してわずか1年後の皮肉な出来事だった。村田の生涯戦績は24勝(15KO)2敗3分。チャンドラーに敗れた2敗のみが唯一の敗戦だった。
その後この2人の王者が圧倒的な実力を誇示していたバンタム級のレベルは急激に落ち、日本でも六車、辰吉、薬師寺といった王者が誕生した。村田は間違いなく彼ら以上の実力を持っていたのにもかかわらず王者にはなれなかった。WBA王者のチャンドラー、WBC王者のピントールという歴史的な強豪王者と互角以上の戦いを展開し、連続して引き分けたのは記憶をたどっても彼以外にいない。まさに「無冠の統一王者」だ。
具志堅引退後、正に日本にとっての切り札的な存在で、その実力もさることながら、実兄が田原俊彦のバックバンドのリーダーを務めていた縁からか、あのジャニーズ事務所にスカウトされたほどの甘いマスクは多くの女性ファンを獲得し、試合のたびに黄色い声援が飛ぶほどだった。もしも王者になっていたら、それこそ日本ボクシング界の歴史が変わるほどの実力とスター性があった。亀田兄弟に梃入れしすぎて、瀕死の状態の最近の日本ボクシング界を見るにつけ、「お前ら、当然の報いだよ。選手の実力どころか、今までどれだけ本物の実力とスター性を兼ね備えた選手を葬ってきたんだ?こういう選手が栄光を手にすることなく、無冠のまま去っていったことに対して、少しは反省しろ!」という怒りしか湧きません。

あえて強い王者たちに挑み散っていったこの挑戦者こそ永遠のチャレンジャーと名付けたい。楽をして大きな目標を得たいとか、よりたやすい方法で成功したいといった考えが頭をもたげた時に私は必ずこの選手のことを思い出します。世界王者としては名を残さなかったが最も私の心に残る尊敬するボクサーです。

村田英次郎戦力分析

長所
(1)パンチを見切る目が世界のトップボクサー並に優れていた。相手のパンチを寸前でかわし自分のパンチを炸裂させる。カウンターパンチャーでいえば日本で村田の右に出るものはいない。世界戦以外ではほとんど相手のパンチをもらうことなく圧勝していた。

(2)バンタム級では大柄で体格に恵まれていた。166cm、リーチ172cmはバンタム級では大柄な方で決して体力負けはしなかった。胴も短く、腰周りが太く、安定していた。世界レベルでのバンタム級の選手の中でも非常に恵まれた体格だった。

(3)パンチ力は世界王者レベルを超えていた。チャンドラーもピントールもその強打に目を丸くしたほど。カウンターパンチャーなので強打者かどうかいまだに疑問を持つ人も多いが、パンチ力自体もかなり強かったと思われる。

(4)スピードがあった。パンチのスピード、フットワークすべてが速く、ピントールもその速さに前半ついていけなかった。アウトボクサーとしてもかなりのレベルの選手だがアウトボクシングに固執せず常に相手を圧倒しようという気力にあふれていた。攻撃型のスピードボクサー。

(5)意志力・タフネスが図抜けて強かった。防御自体も鉄壁だったが、世界戦でピントールの強打を浴びてもダウンせず、またチャンドラーに普通の選手だったら一撃で終わりというパンチをくらって例えダウンしても常に立ち上がり、反撃していた。また意識が朦朧としても、相手のパンチをかわす防御勘を持っていた。

短所
(1)右のパンチが多彩で強かったのに対し、左フックや左アッパーがあまり打てなかった。左ジャブはストレート気味にのびて強烈だったが、左のパンチで相手を倒すことがなかった。世界王者となって防衛を重ねていれば、左のパンチに磨きがかかり、必殺のパンチを生み出していたかもしれないだけに惜しまれる。

(2)東洋太平洋王者としての在位期間があまりに長く、王者として防衛するスタイルに慣れすぎた。例えばチャンドラー第1戦の1R、相手をふっ飛ばしたのにもかかわらず、一気に攻め落とせなかった。世界戦でこういうチャンスはなかなかめぐってこないのだが、相手を警戒する王者のスタイルが垣間見えた一瞬だった。

(3)ボクシングスタイルがあまりに正直で、しかも試合内容がクリーンすぎた。例えばピントール戦の8R、ピントールがマウスピースを忘れてリングに向かった時に、マウスピースを取りに戻るのを待ってあげた。あまりに村田らしいが、本来なら具志堅のように倒れた相手にもパンチを打ち込む闘争本能があれば、このラウンドにピントールはかなりのダメージを受けたはず。またチャンドラーとの初対戦では反則すれすれのクリンチ、ホールドに悩まされた。チャンドラー第1戦のあとすぐに、海外へ出て、狡猾なテクニックを磨くべきだった。

(4)とにかく運がなさすぎた。ピントール戦、チャンドラーとの第1戦、村田の勝ちといわれても何ら不思議ではない内容だったのに引き分け。薬師寺、鬼塚、辰吉(対ラバナレス戦)等の
王座奪取戦が勝ちならば、村田の試合は明白な判定勝ちと断言できるほど。また、挑戦した相手もサラテに勝ち、ゴメスを苦しめ2階級制覇をしたピントール、引退後はやくも殿堂入りし、王者時代にあまりの強さに対戦を避けられていたチャンドラーという2人のスーパー王者が君臨していた時に挑戦しなければならなかった不運。もし、彼があと3年おそく生まれていたら、間違いなく最低7度は防衛したバンタム級史に残る名王者になっていたと思われる。戦績自体、敗戦がチャンドラーに負けた2敗のみというのが、彼の存在を際立たせる証明である。

生涯戦績 24勝(15KO)2敗3分

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